simple is best
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株式会社クラフテッドは、私の師匠の代から数えて(3社を通じて)約60年程、各種デザインの仕事をさせて頂いてきました。
(クライアント企業の皆さま、いつもありがとうございます。)
その60年間の半分くらいを自分の目で見てきましたが、
デザインの心は変わらずとも、考え方、手法、媒体は、想像を絶する大きさで変化しました。
いま、この時代にデザイン会社の代表として、一(いち)デザイナーとして、大切にしたいな、と思うことは、
一つは「作法」という日本の世界観です。作法とは、別の言い方で「伝統の踏襲」です。
そのために必要なことは、自身の「テクニック」を磨くことより、まず学習が先です。
意匠設計(デザイン)は純粋芸術ではありません。伝統もなにも知らずに意匠設計などできないのです。
日本の意匠はきっと、長く長く続く、伝統文化の上に成り立っているのです。
だからこそ、伝統の美に心を留めなくてはなりません。
デザイナーは仕事を通じて社会にモノを残してしまう以上、
安直で自己満足な、純粋芸術的「感性」というものだけで仕事を完結してはいけないと...。
ですから、例えば「デザインをしすぎない」という意識を持つことも大切だと思います。
多くのモノは、いずれみっともなく風化してしまいますので、わざわざ個性的なデザインを施さなくていいものもあるのです。
ありのままでいいものは...、尻まで言いません。
デザイナーは、社会に責任を持つものだと教わりました。
「表現すること」は正しいことでしょう。しかし所をわきまえることが鉄則です。
最近は「ところかまわず」のデザインを目にすることが多くなりました。
すべてのモノの中に特定のデザイナーを感じることが必要なのでしょうか。
「愛すべき美しいモノたち」の中に、だれかの体臭は欲しくないと私は思います。
芸術や文芸の作品は、作者の排泄物だ、と言った人がいます。腑に落ちる表現だと思います。
私たちは、生活に自然にとけ込むような、居心地のいいモノたちを作りたい。
できれば、100年後にも愛されているような、心地いいデザインを目指したい...。
そんなふうに考えています。
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いま、デザインの表現はコンピュータツールにより無限大化したように見えます。
いいのか悪いのかわかりませんが、デザインはそれによって、大きく裾野を広げました。
そんな中でも私たちはプロのデザイナーです。道具は道具ですし、オペレーションはオペレーション。
デザインは設計プロセスであって、作業ではないのではないでしょうか。
例えば、グラフィックデザインの世界で言う「DTPオペレーション作業」と
「デザイン」は、その根元からもともと違うものだと思うのです。
だから、自らに問いただすのは、常に作業を越え、よく考え、
自己満足に陥らず、正しいデザインをしていきたい。
ユーザーにとって、クライアントにとって、そして社会にとって、
同時にデザイナー自身にとって、幸せな仕事...。それを続けていきたいと考えています。
デザインとは、「売るための重要ツール」とか「ブランディングの重要ツール」と最近よく言われていますが、
それだけではないと感じています。
デザインとは、きっと人の心を豊かにできる道具のひとつ。
今日も、そんな気分で、デザインというライフワークに取り組んでいます。
駄文をお読みいただきまして、誠にありがとうございます。